[ 彩風 ] 「えらく今日は静かだな」 「あ、鴆くんっ」 縁側で、微睡む目蓋をぱちぱちとしていた正午過ぎ。何やら包みを小脇に抱えた鴆がとすとすと歩みを進めながら近付いてくる。 怪訝そうに辺りを見回しつつ、しかし顔色は良さそうで、大切な想人の姿にリクオはちいさく安堵を溢した。 「門の前で首無に行き逢ったきりだったぞ?」 「ああ、多分母さんが氷麗たちを連れて出掛けたからじゃないかな。他は…みんなまだ寝てるんだと思う」 実のところは皆、野暮なことはしまいとばかりにおとなしく身を移しているだけであったのだが。鴆はそれに気付いて尚敢えて尋ねてみたのだったがやはり、当の主は気にも留めていなかったようで、座らないのと小首を傾げて鴆を待っている。 「今日はどうしたの?」 「薬の補充に寄ったんだよ。減ってた分もしっかり足しといたから、ケチんねぇで存分に使えな」 愛しい子の髪を少し骨張った手のひらでくしゃりと掻き回しながら鴆は、誰もが見惚れる、溢れるような大きな琥珀色の眸を独り占めできる高さへと身を屈めそして、まだ幼さの残る情人の隣に腰を落ち着けた。 「ん?そりゃ万華鏡か?」 「うん、今朝物置で探し物をしてたら出てきたんだ。あまりよく覚えてないんだけど…多分小さい頃遊んでたやつなんじゃないかな」 云いながらリクオは、手にしていた万華鏡を覗き込む。 暫しの静けさの間もくるくると回しては変幻していく彩りを愉しんでいるようで、片眼をつむり、感嘆の綻びでちいさく開いたままになっている唇の様がひどく愛らしい。 「ん、きれい…」 リクオの纏う空気がふわりと、甘く滲む。しかしそれが、今、その手にしている朱い千代紙が巻かれただけの筒が引き出した表情なのかと思った途端、どうにも不愉快な痺れが鴆の喉元を覆ってきた。 そんな鴆の不穏な気配に気付いたのかリクオは、万華鏡の彩りから視線を反らしそして、自らの想人へと移して眸をゆっくりと、静かに細める。 仄かに緑薫る風が栗色のやわらかな髪を撫で揺らし、ふたりの間を吹き抜けた。 「どうしたの?………ひょっとして、嫉妬でも…したの?」 万華鏡に。 ちょこりとした正座を崩さないリクオが、手の中でころころと万華鏡を転がしながらちらと鴆の方を見遣り、くすりと笑んだ。 どうやらこの情けない心根はお見通しだったようで。 鴆は我ながらの我慢弱さに肩肘を付きたいような気分になったが、何処となく嬉しそうな様子のリクオに覗き込まれた拍子に毒気を抜かれ自然、もうどうにでも成ってしまえと破顔する羽目になった。 「ね、鴆くんも覗いてみない?」 「どれ、俺の恋敵のお色、拝見してやるかな」 「ぷっ…恋敵だなんて、物相手に何さそれ」 顔を見合わせ、互いに吹き出した。 意地を張り、突っぱねるような歳でもないと自覚はしている。それでも少し、ほんの少しだけ、面白くなかったのは確か。 万華鏡を受け取り、先程までリクオを閉じ込めていた世界を覗き込む。 淡い昼の光を受ける三角柱の鏡に飴細工の欠片のような透明の彩りが広がり、ほう、と知らず感嘆が漏れた。 綺麗だと、素直に思った。しかし、お前にはこれは出来まいよと、手にしていた万華鏡を離してからほんの一瞬きの隙、鴆は隣に座るリクオの後ろ頭へと手を回してぐいと引き寄せ、鼻っ柱をかりっと噛んだと思ったらそのまま、顔を埋め首筋を啄み、所有の朱を残し、離れた。 その衝動に押された性急な行為に、リクオは暫し眼を瞬かせ動きを止めた。しかしすぐにはっとして己の首元へと手を宛て、呆れたようにむっと口を尖らせる。 「あのねぇ鴆くん…」 ちいさく暖かな両の手のひらが、鴆の頬を包み込む。視界が愛し子でいっぱいになり、間違いなく己の唇へと押し付けられる柔らかな感触。ちろりとまるで、仔猫のそれの様に出された舌で輪郭を舐め捕られもう一度、今度は上唇をくちゅりと食んで吸われ、やがて名残惜しいと感じるほどゆっくりと、離れてゆく。 ふたりの影が、細い糸で繋がったのは刹那。 「……ボクは、こっちの方が嬉しいの」 云って、少し屈められた顔とほんの僅か、朱の浮かんだ目許。しかしそれでも逸らされることなく真っ直ぐに見詰めてきた強い眼差しに今度は鴆が、盛大に呆ける番となった。 「たくっ…おめぇって奴ぁ、ほんと、」 額を覆いそうになった腕をリクオの背へと回し、知らねぇからなと、抱き寄せた先の耳朶へと吹き込むように呟いて、己の背中へも確かに回され引き寄せられたのを感じながら。 今度は欲しいまま、求められるままに全てで愛してあげたいと、強く、その名を呼んだ。
12.06.01 |