[ 葉月砂糖 ]





「……あぢぃー…」
「おい、」
「………あぢぃー…」

 大の字で寝転びながら唸るリクオを、ぱたぱたと団扇で扇いでやっていた鴆の手が止まる。唯一の涼が絶たれリクオは、胡座を掻き片肘を付いて自分を見下ろす形になっている相手に、恨めしく視線をぶつけた。
 互いにむむっと眉根を寄せ、暫しの静かな攻防がぱちりと小さな火花を迸らせたが、ついと零した方は鴆だった。

「ったく…んなあちぃなら帰ればいいだろ。本家にゃエアコンくらいあんだろうが…何で態々うちまで来て…」

 云いながらも渋々と扇いでやる手を再開させつつ、鴆は尤もなことを茹だる主に向けた。
 リクオの前髪が、運ばれる少しぬるめの微風にそより、そよりと揺らされる。
 頬を撫でる風に満足そうに眼を眇めたリクオが、大の字の仰向けから鴆の座る方へ横向きにごろんと体勢を変えてそのまま、言葉無く鴆を見遣り、ぱちぱちと瞬いた。それから眸の半分を瞼で隠し、小さく小さく口許を綻ばせてからくいくいと、鴆の羽織を控え目に引っ張り、何処か愉しげな声を弾ませた。

「そんなん、お前に会いたかったからに決まってんだろ」
「……」
「手、止まってんぞ」
「……」
「ぜーん?……ふぐっ」

 黙り込んだまま無言でリクオを見下ろしていた鴆が、真顔を崩さずにリクオの鼻をむんと摘んだ。
 突然の来襲にやめろやめろと、鼻を押さえられたままのくぐもった声でリクオは、もごもごと抵抗の意を示して少し大袈裟にバタつきを返す。
 本気では嫌がるつもりはないものの如何せん、鼻孔を塞がれればやはり苦しい。
 己の鼻を摘まみ上げる指を、ぺちりと叩いて止めさせる。
 いきなりなんだよとけらけらふざけ、笑いながら見上げた先。

 珍しい程に真っ赤に染まった、鴆の耳。

 赤面のままふいと、鴆はリクオから顔を背け、やってられないとばかりに自分の頭をわしわしと掻き混ぜながらひとつ、唸り声とも溜め息ともつかないものを腹の底から絞り出す。
 寝転んだ姿勢から己を覗き込んでくるリクオの視界を、理性より速く手のひらで覆いそのまま、徐に身を屈め拐うように唇を重ねた。

「…ン…っ……」

 突然に施された目隠しと淡く触れ合うだけの口付けをリクオは静かに、驚くこと無く受け入れる。そして自らも、鴆の手のひらの下、鮮紅の滲む眸を閉ざし、そっと鴆の頭を抱き寄せた。

「……団扇、扇いでくんねーの?」
「知るかよ……ちっと、黙っとけ」

 くすりと耳朶に入り込んできた甘ったるい笑みに促されるまま鴆は、目隠しの手のひらを少しずつずらしながら剥いでいき、現れた愛しい目許へとゆっくり、確かめるように舌を這わせた。
 ふるりと僅かな震えが返され、刹那に劣情が沸き上がる。
 負かされた悔しさなど、とうに溶け出していた。

「覚悟、できてんだろ…?」

 答えの代りに細められた、誘う仕草の妖しい目許は既に薄紅が灯っている。
 差し出された目の前の甘美な彩りに最早、抗う気など起きる筈もなかった。




12.08.31
残暑お見舞い申し上げます。