[ 風船葛 ]





 カシャッ

 何とも無粋な機械音に、ぱちりと意識を覚めさせられた。
 ぼやける視界の先、幾つか瞬きをして眼を細めれば、見知った悪戯好きが覗いてきたのを掠れた声でおいこらと咎める。

「起きちまったか」
「起きちまったかじゃねぇよ…人の安眠妨害しやがって」

 目の前の相手が挨拶も無しに好き勝手上がり込むのはもう常のことで、今更兎や角と咎めるつもりもないがしかし、どうせ起こされるのならばもっと艶のあることを仕掛けて欲しかったという不満がふつりと沸き立った。

「夜這いならもっと色気のあるやり方ってもんが…くぁ、ふあ…あんだろーがリクオー」

 褥からのっそりと躰を起こし、少し寝癖の付いた頭を乱暴に掻いてひとつ、鴆は欠伸を零しながら面白くなさそうに唸る。
 そんな鴆の不満げな態度など構う気もないのか、先程から何処か愉しげな空気を含ませているリクオはにたりと口許を引き上げ、鴆の目の前にずいと、煌々と光を放つ画面を突き付けてきた。
 いっそ布団へ引き摺り込んで組敷いてやろうかと自棄に成り掛けるも、向けられた画面をよくよく見ると、其処には我ながら何とも間の抜けた己の寝顔が写っていた。

「これ、待ち受けにしとくな」
「ああ? ふっざけんな」
「いいじゃねえか減るもんでもねぇし」
「俺の威厳が減るわっ」
「涎なんざ垂らして寝てる方が悪ぃんだろ」

 尤もらしい返しをされ、一瞬うっと言葉に詰まる。しかしながら、元を辿れば鴆自身は後ろめたさを覚えなければならないようなことはしていない訳で。
 揶揄ってくるリクオの調子にそのまま乗っかってしまうところだったと気付き、諦めて引いてやることに落ち着いた。筈だったのだが。

「あーもう、昼ん時のお前に云うからもういい…」
「その時はやめてやるかもしんねぇけど、この姿になったら多分また変えるぜ?」
「……前言撤回だ消せ。今すぐそれ消しやがれこんの悪ガキめっ」

 結局、大人げなくむきにさせられ、いつの間にか携帯電話を廻っての上半身だけでの攻防を繰り返す羽目になっていた。
 けたけたと笑いながら、その手から携帯を奪おうとする自分を容易く躱すリクオにどうにか一矢報いてやりたくて鴆は、相手が必ず狼狽するであろう確信を持った悪戯を仕掛け返してやることにした。
 捕獲の対象を携帯からリクオ本人へと移し、その手首を素早く掻っ攫うように掴んで、己の方へと力任せに引き寄せ懐に抱き込めた。

「…なぁリクオ、お前ひょっとして……手前ぇから誘うのが恥ずかしかったのかい?」

 これまでの仕返しだとばかりに此処ぞと口角を引き上げた鴆は、態と声色に熱を孕ませ、引き寄せたリクオの耳朶に直接弁を吹き込んだ。

「っ、はあ!? 都合いい方に解釈してんじゃねぇよ莫迦鴆っ!」

 耳元を擽ってきた鴆の低い声にびくりと身を怯ませたリクオは、その狙い通り、ほんの僅か刻を置いた後、ぶわわと一気に赤面し、羞恥に目を見開いたままふざけるなと喚き出した。

「おい冗談だ、冗談。ったく、何もしねぇから安心しな。これに懲りたらもう人様の寝顔なんて撮るんじゃねぇぞ」

 直ぐ様今し方相手へと向けた不穏さを潜め、常と変わらぬ調子に呆れを交えて諭す。
 その間鴆は朱に染まったリクオの頬や目許から視線を逸らすことに精一杯で、本心ではこのまま手を出してしまいたいところだったのだが如何せん、後になって暫く口を利いてくれなくなる様が容易く脳裏に浮かんだ為、ぐっと堪えて止めておくことにした。

「っ、…のやろ……」

 悔しさ半分照れ隠し半分なのかリクオは、顔が見えないようぐいと鴆の夜着を引っ張り、その胸元へと額を押し付けてきた。
 自分にしか見せることのない、当人は無自覚であろう危い無防備さを返されて、ついと意地の悪いことをしてしまったなと苦笑交じりに少しばかり省みる。
 漸く大人しくなった腕の中、未だこうして初心さを残す愛しい子の背へと腕を回し、このまま寝てけと、鴆は髪越しの額へ淡く口付けを落とした。



 実の処、リクオの寝顔も以前、共寝の際にしっかりと自分の携帯電話で既に撮影保存済みで、それも一枚や二枚ではないということは、今暫くは本人には教えてやらないでおこうと、胸の内で固く思う鴆であった。




12.08.01