[ 重ね翠 ] チリン、と音がし振り向いたが何も無く、今度は反対側からチリンチリンと、重ねて揶揄う音が聞こえてきて、それ以外の気配は無しかない不自然な事の起こりに、悪戯の主の顔が目蓋の裏側に浮かぶまでには、そう幾らも掛からなかった。 途端ずしりと唐突に凭れ掛かられる重さを背中に感じ、今夜はどうしたと、振り向き様に相手の腰へと両腕を回して捕えてやった。 「よう、誕生日だろ、今日」 「ん?…ああ、そういやぁそうだったか」 「手前ぇの大事な日、忘れてんじゃねぇよ」 頭をぎゅうと抱き締められる。見上げてやれば最愛の、甘く優艶な眸とかち合い微笑みを返され、たったそれだけの所作にさえ仄かに沸立ってしまう内の情火に、胸中で苦笑を零した。 「大事ったってなぁ…いまいちその感覚、わかんねぇんだよなぁ」 「まぁ、それでもいいさ。上物の酒を呑む口実にはもってこいだろ? ほら、祝いだ。酌してやるぜ?」 少し得意げな声色でリクオが差し出してきたのは、これまた手に入るのが珍しいような、一等の濁り酒だった。 「それともうひとつ、こいつもやる」 チリン。 懐から取り出されたそれは、先程耳にした音の正体だろう。 「お、風鈴か。こりゃまた風情のあるモン寄越すじゃねぇか」 「裸のまんまで渡すことになっちまって悪ぃが、可愛らしいリボンで括ってあるよりゃあマシだろ?」 「ハハッ、違ぇねぇ」 小振りながらも品の感じられる青銅作りの鐘鈴には、川の流れと蜻蛉の柄があしらわれてある。頂辺の細い紐を摘んで揺らせば、涼しげな澄んだ清音が心地よく鳴り響いた。 「いい音だ」 「だろう」 オレが自分で選んだんだと、そう嬉しそうに云ったリクオは鴆の手からそれを受け取り、垂れ下がる短冊をほっそりと整った指で爪弾きながら立ち上がると、濡れ縁へと歩んで少し背伸びをし、雨避けへと風鈴を結び付けて戻ってきた。 愉しげに細められた眸、端麗な横顔についと見蕩れ、気が付けばその顎を掬い、唇を攫っていた。 「……っ、」 「どうした?」 触れるだけのそれを二度三度と繰り返し直ぐに退くと、ぎゅっと瞑られていた目蓋を開いたリクオから気抜けしたような表情が返ってきた。 「…な、なんでもねぇ…」 さっと朱の上った目許を認め、さてはそうかと合点を付ける。 「もっとして欲しかったらリクオ、お前ぇから来いよ」 「ばっ、誰もそんなんっ、」 「……俺がお前からして欲しいって、そう云ってんだよ……誕生日は特別なモンなんだろう? ならひとっつくれぇは、甘やかしちゃくれねぇか」 なぁリクオと、低く強請る声色で、耳朶に寄せて囁いた。 その白く透けるような膚を紅く染めたリクオは一度、躊躇うように俯いてしまったが、やがてふいと面を上げ視線を合わせた刹那で、羽織の両の衿を力任せにぐいと引き寄せてきた。柔らかな感触が当たってきた先、乾いていた唇がリクオの舌で湿らされ、薄く口を開け待ってやると遠慮がちに咥内へと入り込んできた。 「……ふ、…んっ……」 辿々しく震える初心な舌先が、鴆のそれへと絡められる。施される愛撫は未だ拙さを残すものだったがしかし、自分を想っての懸命さが切々と伝わってくるそれは、どんなそれよりも極上だった。 下腹へと集まった熱は既に兆し、猛った欲情に委せて相手の舌を奪い捕る。逃がさないという意を孕ませた手のひらを後頭部へと回して今度は、己が相手の咥内へと割って入り、幾度も角度を変えては欲しいままにリクオを貪った。 「ん、は…っ…なぁ、酒は…はぁ、いいのかよ…折角いいモン持ってきてやったのに…」 「おい今更野暮云うんじゃねぇよ…酒は後から一緒に、ゆっくり呑めばいい…それより今は…、」 「いあ、ぁ…っ」 「お前ぇを味わいてぇ」 するりと開いた衿元から襦袢の下へと手のひらを忍ばせ、弄る手付きで胸の頂きをきつく捏ねると、弾かれたように嬌声が上がる。 与えられた悦に戸惑いながらも、潤みを含ませ、確かな欲情が滲み始めた視線を返されればもう、抑えなど利く筈もなかった。 * * * 「…、ぁ…鴆っ……ぜ、ん…」 飛びそうになる意識を堪える狭間、呼ばれる声と、乱れる吐息に混ざって聞こえくる風鈴の音と伴に、このひと刻を愛しいその身に、胸にと、決して忘れさせぬよう刻み付けたいと望んでしまい、己の欲深さに苦笑が滲む。 ただその隣に在れればと、それだけを願ってきた。しかし、一度抱き籠めてしまった愛しい熱は、何れ程に相手を欲していたかを自身に識らしめただけだった。 褥を供にする度、胸の芯を掴まれるような焦燥に駆られ、何時だって求める果てを見失ってしまう。 「…ん、はぁ…、忘れんなよ…鴆」 乱した息のままリクオは、鴆を見上げ何処か切なげに笑んだ。その眸に滲む涙は閨での熱に浮かされたそれなのか、それとも。 零された声はしかしはっきりと意思を持ち、互いに望むものは同じであったと伝えてくれるには充分で。 震える長い睫毛が、上気し色付いた目許が、甘く零れ落ちる吐息がすべて、鴆を感じてくれている証であると思うだけで、何度でも情欲が灯り目頭に熱を滾らせる。 苦しげに眇られた目蓋が、声無く静かに鴆を呼んだ。 小さく差し出されたその舌に、躊躇うことなく喰らい付き、その身がどれ程愛しく想われているか思い識ればいいと念いながらきつく吸い上げてそのまま、喉の奥をあやすように突いてやる。 捕らえて絡めた舌の熱さは離れ難く、息を付く間さえもが邪魔だった。 もっとリクオを感じたくて、項へと添えた手で責付くように引き寄せる。首に回されていたリクオの腕にも力が籠められたのを感じ、止め処無く込み上げる嬉しさに自然、口角が上がるのを抑えられない。 「はっ…誰が忘れるもんかよっこんな、嬉しいことされて、」 「うあっ…や、ぁ…きゅ、に…っ」 愛しい子の名を呼びながら、その細い腰を掴んで幾度も情欲を打ち付けた。穿つ度に艶やかな嬌声が止めどなく溢れ、部屋を埋め尽くしていく。 「っ…力、抜け…リクオ」 咥え込まれた後腔のきつい締め付けに眉根を寄せながらも、気が解れるようリクオの屹立に指を掛け扱いてやると、やがて直接的な悦感と頬を掠めた唇の感触への安堵からか、腕の中の躰からは徐々に強張りが解けていき、次第に強請るそれへと移っていった。 ゆるゆると鴆に合わせ自らも揺れ始めたリクオに気付き、堪えきれない劣情が涌き上がる。 もっと啼かせ、鴆にだけ許す声を引き出してやりたい。 己が与える愛撫のひとつひとつに乱れていくたった一人の情人に、愛惜と独占欲が入り交じり、狂暴な熱が繋がる理性を焼いたのがわかった。 「…っひ、ぁ…んっ……ぁあっあ、」 激しさを増した性急な抽挿に高められ、ひと際色香を纏わせた嬌声と共にリクオの欲が鴆の腹へと飛沫かれる。追うようにして鴆もまた、リクオの最奥へと猛った熱を吐き出した。 荒い息もそのままで囲うように覆い被さり、達した余勢に汗の浮かぶ白い首筋へと顔を寄せ、弛く噛み付き徴を刻めば、胸に満ちるはただただ倖せという感覚だけだ。 「…リクオ」 「…、…鴆…」 息を整えながら見詰め合った刹那、一風の静寂が風鈴の音を運び、二人の耳朶を凛とやさしく撫でた。 「祝ってくれて、ありがとうなリクオ……ったく…地に足着けてらんなくなっちまったら、どうしてくれんだ」 愛しさを伝えたい愛撫で唇へと淡く舌を這わせれば、おずおずとした微かな吸い付きがくちゅりと音を立てて返される。それから額を擦り付けるようにすりりと身を寄せてきたリクオの髪を撫でてやり、再び抱き包む腕に力を籠めた。 「………嬉しくって、たまんねぇよ」 蒸し暑さ残る盛夏、青銅の奏でる清い風声を耳にする度、幾度だって思い出すのだろう。 チリンチリンと、静まり返った宵闇の中、夢うつつに揺れ始めた意識の端で、いつまでもその涼しい音が鳴り響いていた。
12.08.12 |