[ 翁草 ]





 目が覚めたときには両足が力なく空を掻き、硬く、けれど温かなものにくたりと凭れて揺れていた。
 背負われているのだと、ふと間が空いてから気付く。未だぼんやりと微睡みを游ぐ中、鼻腔を擽ってきた薬の匂いに安堵してゆっくりと、瞬いた。

「……ぜん…くん?」
「おっなんだ、起きたのかリクオ」
「あれ、ボク…」
「あんまりにも気持ち良さそうに寝入ってたんでな。起こすのも…ちっと忍びなくてな」

 背中越しに伝わってきた鴆の纏う空気がどこまでも穏やかで、ぎゅっと詰まるような苦しさが胸を掠めた。
 時折じわりと滲むようになってしまった情欲をどうすればいいのかわからず、ただただ切なさにも似た気持ちをくゆらせては未だ、知らぬふりをして遣り過ごすことしか覚えられずにいる。
 自分を背負う相手の羽織を握り締め、くいと引いて降ろすようにと促した。

「鴆くん、もう平気だから…重いのに無理掛けてごめん」
「なんだい、もう降りちまうのか? 久々にお前ぇに甘えられてるみてぇで苦でもなかったんだがな」
「ウソだ。絶対我慢してたでしょう」

 気恥ずかしさから逃げたくて、よいしょと早々にその背を降り隣へと立った。離れる体温を名残惜しいと感じながらも、少し見上げる高さ、何処か愉しそうに笑んでいる鴆を覗き込む。
 そういえば、誰かに負ぶわれるなどいつ振りだっただろう。

「んなことねぇって、お前みてぇな子ども一人くれぇどうってことねーさ。けどまぁ、夜のお前じゃなかったのは助かったかもな」

 流石にあっちの姿じゃあそう長くは背負ってってやれねぇからなとからり、愉快そうに鴆は身を屈めてリクオの髪へと指を差し入れ、額が見えるよう掻き上げてきた。

「そういやぁ、こうして薬草一緒に採りに行くなんざ暫く振りだったな」
「そうだね。でも結局寝ちゃって、何だか邪魔しに着いてきただけみたいになっちゃったけど…」
「途中で見当たんねぇと思ったら木の根ンとこに凭れてんだもんよ」
「…ごめん」
「だから気にすんなっての。それよりどうだ? 少しは気晴らしになったかい、リクオ」

 向けられた語気は、二人で居るときだけに見せてくれる、最早馴染んだ愛しい声色で。
 ひとつ、くしゃりと柔らかな栗色の髪を撫でてから、鴆はその手を退けた。
 心配を、また掛けてしまっていた。しかしもう、以前のように叱咤するでなくこうして、共に過ごす時を作ってくれた鴆の気遣いが、たまらなく嬉しい。

「うん、ありがとう…ありがとね。鴆くん」
「何泣きそうなツラしてやがんだ、てめぇは」

 屈んで同じ高さにいる鴆の赤銅の眸が、やさしく眇られたのがわかった。再び燻された薬の匂いに包まれ、舌先が彼を欲して甘く痺れていく。
 鴆に触れたい。
 鴆に……触れて欲しい。
 自身でさえ暴くことの怖い気持ちがきつく喉元を圧し、息が詰まる。

「リクオ?」

 互いの動きが止まった、一瞬。

「ううん、何でもないよ。さ、鴆くん、早く帰ろ!」

 ひりつく痛さで、リクオは咄嗟に出かけた言葉を呑み込んだ。
 鴆に背を向け先に歩み出し、くるりと振り返って手招いた。
 待てよリクオと、直ぐ様二人は隣に並ぶ。

(好き。ねぇ、鴆くんが好きだよ…)
(どうすれば、ボクは君の為に生きることができる?)

 夜の自分でなく、昼の、ただの人間でしかない自分が鴆にできること。
 今日も答が出せぬまま、帰路に並ぶ最愛の人へリクオは、自分でも情けない顔をしていると自覚しながらももう一度、先程と同じ言葉を伝えようと思い、鴆の手を取った。

「……本当に、ありがとう…鴆くん」

 上手く、震えずに云えていたと思ったのに。
 何も返ってこないことに違和感を感じて顔を上げ、相手を真っ直ぐに見据えた先。眉根のきつく寄せられた、何処か堪えるような眼差しが向けられていた。

「リクオ、お前にそんなツラさせちまってんのは…俺か?」

 抱き締められていると気付いたのは、鴆の心臓の音が密着する額から伝わったきたからだ。苦しい程にきつく、背に回されている腕が熱い。

「鴆くん…ごめん、もう陽が落ちる、から……ごめんね」

 リクオの髪がしゅるりと伸び、夕暮れの紅を淡く吸い寄せながら銀色に染まり始める。待ち望んでいた筈の体温に包まれているのに、胸が苦しくて、声が出せない。
 リクオ、と力無くちいさく呼ばれた。
 しかし、事の認識の替わる意識の中、今はもう答えても意味を成すことはないと識り、幾分か広く長くなった己の手を見詰める。そして立ち竦む相手の着物の衿を引き寄せ、さっさと帰るぞと耳朶へ直に吹き込み、鴆と、呼んだ。




12.06.15