[ 沁 ]





 昼と夜。彼らには各々に定めた領分があり、それを隔てとして現を生きている。
 しかし双人(ふたり)は今、夢とも現とも、当人たちでさえ境の曖昧な刻の狭間で同じ拍を刻み、淡い寝息を溢していた。

 絶えずその枝先に湛える薄紅色の花弁を、はらり、はらりと散らし続ける妖桜のその根本。少し肌蹴た白磁の襦袢の一枚だけに身を包む双人は互いの肩へ、頭へと交互に凭れ、その表情はすうすうと心地よさそうだ。
 双人は大抵、片方の意識が現へ出るのと入れ替わる際で、擦れ違うだけに留まることが常である。時には視線が絡むこともあるがしかし、どれもが刹那の交わりで、直ぐ様この静かな空間にはひとりきりとなってしまう。
 それが今宵は、珍しく一緒なのである。
 それでも何のことはない、ただ夜の領分を受け持つ方が現へと繰り出さず、この場に留まっているに過ぎないというだけのこと。現の世では今頃、ただ眠っているようにしか認識されていないだろう。

 今夜はいいの? そう先に問うたのは、昼の領分を受け持つ方。やわらかそうな栗色の前髪をふわと揺らして小首を傾げ、少し不安そうに覗き込む。
 昼のその問い掛けに、夜は静かにこくりとだけ頷きを返し、それを受けた昼もまた、そう、とだけ零して残りは次がず、そっと嬉しそうにただ目を眇めた。

 先に動いたのは夜の方で、昼が気付いたときには既に相手の腕の中にいた。ふわりとやさしく閉じ込められ、すりりとじゃれつくような仕草で頬を擦り寄せてくるその様はまるで甘える仔猫のようで、何ともくすぐったい心地となる。そしてそのまま、今度は昼の方が、抱き留めてくれている夜の胸へと額を擦り付けて応える番。
 そうしてくすりくすりと悪戯を楽しむように小さく肩を揺らした後、双人は少しだけ躰を離して互いを見遣る。そしてもう一度、ゆっくりと微笑み合って、触れるだけのキスをした。

 安堵する。唯、それだけのこと。こうして時折、共に戯れるひとときを気紛れのようにもたらしてくる夜の方と、そんな片割れの嬉戯に飽くことなく身を任せる昼の方。
 昼が切れたから充電させろと、ある日夜の口から云われたときは流石に昼も呆けを食らったがしかしそれでも、はいはいと苦笑を口許に浮かべつつ、ボクだって同じだよと、キミが恋しくて仕方なかったと、そう素直に告げ、想い合える嬉しさに指を絡めて引寄せたのだった。

 眠り続ける双人の間を、途切れることなく桜の花びらが舞っていく。
 はらりと鼻先に花弁の一枚が触れ、ん、と微かに身動ぎをして昼の方が目を覚ました。
 いつ意識を落としたのかはわからないが、覚えているのは今凭れている桜の下、夜と互いの膚を確かめ合っていたのだということ。
 ふと預けていた頭を起こして見上げた先、夜の胸元には、衿の合わせの隙間に薄紅の徴が覗いていた。それは先刻、自らが吸い刻んだものである。そしてはたと思い起こして右の手首へと目を向けると、そこには夜に吸われた徴がふたつ。
 この手首から始まった小さな愛撫の痕は、足りないと、そう呟かれ、腕、肩、胸元、首筋、そしてこめかみへと辿られた先、余りの面映さに左の腕で咄嗟に顔を隠そうとしたのさえも、掬い取られて幹へと押さえられ、そして視界のその全てを、夜でいっぱいにされたことを鮮明に思い出させてきた。
 仄かに涌き生まれた愛おしさに、左手で右の手首をそっと引き寄せる。そして夜がくれた所有の証に、瞼を落としながら自らの唇を薄く這わせ、ちろりと舐めた。
 まるで秘めごと遊びのような逢瀬を重ねる度、鼻先で触れ合えるこの距離に互いを欲する気持ちは増していく一方でそれはいっそ、切なさにも似ていると思えた。

 いつでも共に在り、身の内のその存在を互いに感じている。それでも、確かめ合いたいのだ。既にひとつの身であるのに、どんなに焦がれても飽くことなく、もっともっとと手を伸ばし、触れていたいと望んでしまう。
 昼の方は時々考える。もしも自分たちが各々で分たれた躰を持っていたとしたら或いは、これ程に互いを乞い求めることもなかったのかもしれない。
 しかしそれはきっと、とてもとても寂しいことであると、思考を巡らせる度に決まって胸の奥がつきんと痛む。
 だから、どうかこのまま。
 そう祈るように願う昼の横で、夜の方は未だ起き出す気配はなく、穏やかに胸を上下させている。その口許は、僅かに笑みを形作っているようだった。
 じわりと、胸が甘く満たされていく心地に浸りながら、昼は緩く膝を抱え、再び夜の肩へとその身を寄せ直して、目を閉じた。





12.06.22