[ 結い珠ふたつ ]





「ん…、夜…ねぇ離して」

 ちいさく傾げられた昼のに云われてからはっとし、我に返った。自分でも情けなく気が萎んでいくのがわかる。
 痛くしてしまったのだろうか。驚かせてしまったのだろうか。それとも…嫌、だったのだろうか。
 昼のが目の前に現れ、よかった、今夜は逢えたねと淡く笑まれた瞬間、不穏に駆られ咄嗟に、桜の木の幹へとその子の腕を縫い止めてしまっていた。

「すまねぇ…その、オレはっ、」
「違うんだ、謝らないで」

 直ぐ様掴んでいた手首を離しそしてそのまま、擦れ合う程に密着させていた胸を退けようとした、その瞬刻。
 ふわりと首に両腕が回ってきて再び、愛しくて愛しくて仕方のない子に触れていた。
 引き寄せられた先、トスンと互いの胸があたり、次いですりっと重ねられた頬の産毛が心地好く擽ってくる。

「さっきのままじゃ、こうできないでしょ?」

 こうやって、キミを抱き締められない。
 告げられ、その鼻先が己の首元に埋ずめられた刹那、もたらされた微かな痛みと甘い疼きにちいさく震えが走った。
 朱く、そこへ咲かせてくれたのだろうか、お前のその口で。
 自然、胸の奥が耐え難く切なく、抑えられない愛しさでいっぱいになっていく。

  「……本当はね、本当は、キミを独り占めできたらなって、いつも思ってる」

 耳朶のすぐ近く、遠慮がちにぽつりぽつりと与えられるあたたかな声と、一層強く引き寄せられる、回された腕の楔。されるがままに身を預け深く、伝わるようにと息を吸い応える。

「オレだっていつもこのまま…このままお前をこの腕の中から離したくないと、思ってる」

 同じなのかと、想ってくれているのかと、ずっと問うのが恐ろしかった。
 募る独りの時間に身を置き、枯れぬ枝下桜と供に幾年も、幾年も再びその眸に己を映してくれる刻の訪れを待っていたのだ。こうして視線を合わせそして、言の葉を交えている、たったそれだけのことがこんなにも胸に滲み、泣きそうな程にこみ上げてくる。相手の存在を、そして己の存在を確かめ合える日をずっと、待ち望み続けていたのだから。

「けど、皆から慕われる姿もまた、ボクの好きなキミなんだ。ボクにはない、持つことのできない畏を纏った姿。独り占めしたいって云ったのに、皆に求められるキミも好きだなんて、わがまま云ってるって…わかってるんだけど…」
「そんなの、お前だって同じだろう」

 慈愛を持って接するその心結に惹かれる者は、後を絶たない。必要とされているのは決して、己だけではないのだ。この子はもっと、自分がどれ程周囲を照らしているのか自覚を持った方がいい。
 しかし一方の片隅では、どうか気付かないでくれとも願う。互いが半身であり完璧でないが故に時に生じる迷い。その不安を薄めたいと最後に寄り掛かられて満たされるものは、決して相手に見せることのない独占欲だ。
 傷付いて欲しくない。穏やかであって欲しいと切に望みつつも、すがり、心を預けてくれという矛盾した焦燥に捕らわれることに時折、云い知れないものを感じてしまうのだが実は、相手も、全く同じ願いを孕ませているということには未だ、夜の彼は気付けていない。

 組の皆も人間の仲間も、誰も彼もが心から大切で。守りたい、背負わねばならないものも、今はそれぞれはっきりとわかっている。そして、決して互いが互いだけのものには成り得ないのだということも。

「だから、」
「うん」

 此処にいる間だけは、他の誰のものでもないのだから ――― そう云い訊かせ、どちらからともなく、触れる。

 ふやけるような、元より境の曖昧な体温をゆっくりと重ね合わせる。鮮紅を湛える眸、滲む琥珀色の眸を閉ざして、絡めた。
 まるで溶けて交ざるような心地の中、くすりとしあわせそうに微笑んだ相手が愛おしくて、息を吐かせることさえもが、もったいなくなった。

 こうしてまたひとつ、どうか気付かないでと、ふたり、願うことが積もる。




12.06.09